縛られていた重力から解放されたのは、
その時が初めてだった。
そう、今から11年前の春、
私は、はじめて飛行機に乗ったのだ。
当時、私は高校生だった。
高校3年生になる前の春休みだった。
パスポートの申請が遅れ、
「なんで今までほおって置いていたんだ」と監督に怒られ、
出発まで間に合うかどうか不安になっていた。
本当はパスポートを取得するには、
何処へ行けばいいのか分からなかったのだ。
いつもの散髪屋、「フジワラ」の親父に聞いたところ、
県庁に行けばいいということだった。
その散髪屋は部活の御用達になっていた。
一度、散髪途中に急用が入り、
抜けて用事に走ったことがある。
横だけ刈り上げ、上部はフサフサ。
これはかなり間抜けだった。
実際、用事先でもかなり笑われた。
もう10年経つので正直に告白するが、
用事というのは、OBとの試合である。
結果は「敗北」。
髪型ですでに「敗北」していた。
で、ようやく取得先も分かって、いざパスポート取得に行かん。
と気合いを入れて県庁に向かった。
だがパスポート写真を写す前日、
自転車で転んで顔に怪我をしてしまったのである。
昼間、自転車をこいでいるといきなり前輪がはずれ、
前方に思いっきりつんのめってしまったのだ。
これは誰かが罠を仕掛けたとしか思えないような壊れかただった。
私は人に恨まれるような事をした記憶がない。
あくまでも記憶だが…。
事実、高校時代の私は、
「おとなしい、品がある、穏やかだ、勇敢だ、バカだ」の代名詞のように思われていた。
(たぶん)
だがよく考えると、40人クラスで女30人、男10人。
これだと静かにならざるを得ない。
なぜいつもこう拷問のような配分をするのか疑問だった。
大人になった今、一度学校に質問状を送ってみてもいいくらいだ。
転んだ場所は、忘れもしない、
和歌山市内の「市川」という家具屋の前の横断歩道だ。
おかげでパスポート写真は、まだかさぶたにもなっていない、
生々しい、血まみれのあごのまま写されてしまった。
血まみれのパスポートも入手し、さあ初めての海外へ。
行き先は北京。
目的は全国高校選抜強化合宿。
期間は一週間。
死にものぐるいで手に入れたパスポートを胸に
心地よいフライトを楽しむはずだった。
サンテグジュペリがリヨンで受けた、はじめての「洗礼」のように
地上数千メートルの詩作に思いを寄せるつもりだった。
だが甘かった。
不覚にも緊張してしまったのだ。
人は初めての経験の時に、
脳みその「海馬」という場所が発達するのだという。
発達という表現が適切かどうかわからない。
私は脳科学者じゃないのでその辺は大目にして欲しい。
(できれば他のことも大目に見て欲しい)
ノリノリの海馬のまま、北京空港に着き早速練習場となる体育館に向かう。
着いてはじめて行う練習に驚いた。
いきなり体力テストである。
体力テストなら日本でもできる。
わざわざ北京まで来てする必要はない。
しかも、最初は走り幅跳び。
せっかく重力から解放される喜びを知ったのに、
すぐにまた、重力に戦いを挑まれるとは思っても見なかった。