古道は、出立王子からしばらく平地になり、ここ三栖王子で小高い丘へと上ります。梅畑の中にひっそりとたたずむ跡地からは、田辺市三栖地区の町並みが見渡せます。
概略 三栖の地名は藤原為房の日記、「大御記」 に出てきて永保元年(1081) 熊野に参詣した際、三栖荘に宿泊するとあります。王子の名は藤原定家の日記、『熊野道之間愚記』 に「ミス山王子」 と書かれているのが初見です。
承元四年(1210) 四月の『修明門院熊野御幸記』でも三栖王子に参詣したことが記されています。室町時代には、すでに三栖から潮見峠越えの道が開かれていていました。その後は、退転し、江戸時代に再興され「影見王子」と呼ばれたようです。
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