天仁二年(1109)に参詣した藤原宗忠と建仁元年(1201)、後鳥羽上皇の参詣に随行した藤原定家は共に岩代王子の拝殿の板を削って、供奉人の名前と参詣の回数を連署し、打ち付けています。
「新古今和歌集」には、この習わしを真似て、拝殿の長押に書き付けた
「いはしろの 神はしるらん しるべせよ たのむ憂き世の 夢の行く末」という歌が載せられています。
また、足利義満の側室、北野殿は、九月二十五日に岩代王子の前の海に潜っていた「海士」に綿布などを与えたとあります。
まるで王子は海岸沿いを走るJRの線路を渡り、千里が浜を10mほど歩いたところにあります。線路を渡る際は十分ご注意を。
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