なんと言ってもこのお寺は、熊ぐっさん(南方熊楠先生)が眠っていることで有名!熊野にこれだけ多くの神社仏閣が残っているのは、熊ぐっさんのおかげと言っても過言ではなかろう。
熊ぐっさんは明治時代に政府が神仏合祀令を出した時、合祀を推し進めることは自然保護、環境問題だけに限らず、日本文化、民俗を壊すことになると説いていきました。
つまり、文化、民俗を壊すことは、日本人の心までも奪ってしまう事を恐れたのです。後生のためにもこの文化を残すのは私たちの使命なんです。
概略 名刹高山寺はもともと勧修問寺という学問寺で、起源は古く聖徳太子の御草創と伝えられています。
平安時代、熊野の山岳地帯を開拓し高野山に大霊場を建設中だった弘法大師は、多忙な時日をさいてここ田辺に立ち寄りました。この事は高野山の記録にも残っており信憑性がかなり高いといわれています。
その後、安土桃山時代に豊臣秀吉による兵火で建造物や古文書が焼失し、空増上人が伽藍の復興に着手し、寺号が興算寺、のちに高山寺と改められましたた。
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